エルメル・ディマルクト 神父の最近のブログ記事

 

 

 

 お話: エルメル・ディマルクト神父

 

 

 


第1朗読 サムエル記上 3章3b~10、19節

      「サムエルへの主の呼びかけ」
 
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 6章13c~15a、17~20節

      「聖霊の住まいである体」

福音朗読 ヨハネによる福音書 1章35~42節

      「最初の弟子たち」

 

 冬の空2

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

  

 

 

 - Jn 1 35-42 -

 

 

「なにを求めているのか?」

 

神さまは なにごとにつけても、いつも先手を取られます。

 

いつでも、最初に ことを起こされるのです。

 

 

 

 

神さまは、私たちが 神さまを探して見つけるまで 待っておられるのではなくて、

 

ご自分、すなわち 神さまの方から 私たちに 会いに来られる方なのです。

 

 

 

聖アウグスティヌスは、神さまについて こう述べています。

 

 

「私たちが 探し求める 神さまは、

 

ご自分を隠し、私たちが 近寄ることを 許さないような方ではない。


私たちが見つける神さまは、

 

立って 私たちの到着を 

 

待っておられる方である」。

 

 

 

神さまは、私たちの 人生の途上で、必要ならば、

 

ご自分の方から 私たちの方に 歩いて来てくださいます。

 

 

 

 

イエスは二人の弟子に、私たちが生きていく上で、

 

最も 基本的な 質問を なさいました。

 

 

「何を求めているのか?」 

 

 

次に、彼らに、

 

「来なさい。そうすれば分かる」と 言われます。

 

 

 

 

二人の弟子たちに 問われたことを、

 

イエスは 私たちにも 問われるのです。

 

 

「何を 求めているのか?」

 

 

 

何を目的として 生きているのか? 

 

この人生から 何を得ようとしているのか?

 

 

  

人々は安全確保を第一とします。

 

 幸せに暮らし、明るい将来を実現するために

 

一生懸命働いて お金をためる人もいます。

 

成功し、有名になり、名誉を得ることや、

 

人気者になることを 求める人もいます。

  

平和と繁栄を 求める人もいます。

 

 

 

イエスさまは、私たちに、

 

「まず 神の国と その義(ぎ)を 求めよ」と 言われました。

 

 

 

父なる神さまは、

 

私たちが 何を必要としているかを ご存じなので

 

神の国を求めるならば、

 

他のすべての物は 与えられるから なのです。

 

 

 

 

私たちが 神さまと出会い、

 

イエスさまを見つけたら、

 

私たちに与えられている 

 

もう一つのチャレンジがあります。

 

 

 

それは、アンデレのようになることです。

 

人々をイエスのところへ連れてきて イエスに紹介することです。

 

 

  

今年、そして、

 

これから先、生きている限り、

 

私たちがもっと、

 

神さまの想いに 近づくことが できますように

 

祈りましょう。

 

 

 

野の花2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

  

  

  

  

  

 

 

  

写真 : カトリック伏見教会 にて

 

上 ・・・ ひこうき雲が みえる 大空

 

下 ・・・ カトリック伏見教会 伝道館への路上に 咲いていた 野の花

「あかまんま (別名・いぬたで(たで科))」

 

(・・・この野草の、小さな粒のような赤紫の花穂をしごいて 

「お赤飯」に みたてて 子どもたちが 草遊びをしたことから 

この花の名の由来があると いわれています。・・・)

 

花言葉: 「あなたのために役立ちたい」「健康」「節操」

 

 

 

                                   (2011年11月撮影)

 

 

                                      カトリック伏見教会 

 

 

お話:エルメル・ディマルクト 神父

 

第一朗読  民数記 6章22~27節

        「祭司による祝福」

 

第二朗読  ガラテアの信徒への手紙 4章4~7節

        「奴隷ではなく神の子である」

          

福音朗読  ルカによる福音書 2章16~21節

        「羊飼いと天使」

クリスマスリース2 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

 

-Solemnity of Mary, mother of God -

 

今日から、新しい年が始まりますが 

これを機会に、終わったばかりの年を 振り返ってみましょう。

よい経験については 神に感謝し、おかしてしまった過ちについては 

それを認め、それを教訓として活かせるように 神の助けを願いましょう。

 

また、新しい年には 希望をもって臨みましょう。

それは、悪い事が起こりませんように という類の 消極的な希望ではなくて、

たとえどんなに苦しい状況になったとしても、神さまが 私たちを力づけ、

私たちと共に歩んでくださるのだ という 深い信仰を土台とした

希望を持ちましょう。

 

今日、教会は、マリアさまが 神の独り子の お母さまであることを 

お祝いします。福音には、

「マリアは これらのことをすべて心に納めておかれた」と あります。

 

リアさまは 理解できないようなことが起こっても、

そのために 心を悩まされることは なかったことが分かります。

 

シメオンの預言をお聞きになった時もそうでした。 

その時 マリアさまにとっては シメオンの預言は 分かりにくいものでした。

 

イエスを 神殿で見つけられた時に 聞かれたイエスの言葉も そうでした。

「わたしが自分の父の家にいるのは 

当たり前だということを 知らなかったのですか」と イエスに言われて、

両親には イエスの言葉の意味が 分からなかったのです。

 

そのようなことの 繰り返しが ひいては 

イエスの十字架のそばに お立ちになれるように 

マリアさまを 準備していたと 思われます。

 

マリアさまは ご自分に起こることを すべて理解できなかったでしょう。

でも、神さまに対する信頼は完全なものでした。

 

したがって、すべてを 心に納めておかれたということは、

ご自分で、その意味について 考えめぐらされたにしても、

それが理解の及ばないものであれば 

いつも共にいてくださる神さまに 全面の信頼をおいて、

すべてを おまかせした ということです。 

マリアさまの心は 神さまへ 開かれていたのです。


 

私たちの場合もマリアさまと同じく、生きていく上で 

さまざまな 理解し難いことが 起こります。

 

そして、頭の中には、 

「なぜ?」という 疑問が生じます。

 

私が大学生だった時に、ある先生が、

「私は、みんなが 疑問に思っていることの

答えを言うために ここにいるのではないし、

また、みんなの人生の意味を みつけてあげるために ここにいるのでもない。

人生の さまざまな神秘を 考えながら 

みんなと共に歩んでゆくだけである。」

と、言われたことを 思い出します。

 

この先生は、人生には数々の神秘、

いわゆる理解できないことがあることに 

私たちの目を 向けようとしてくださったのです。

 

それらのことは、私たちの理解を超えることだから、考えてもしかたがない という

消極的な態度を 勧めているわけではありません。

分からないことは 心に納めておき、

神が共に居てくださることを信頼して進む生き方を 

私たち学生に示してくださったのです。

 

これについては マリアさまが私たちのモデルです。 

理解に苦しむことであっても 神に信頼すること 

そして、神さまの望みとあれば、そのわけを問うことなく、

神さまの み旨を行なうことが どういうことであるかを

私たちはマリアさまから倣(なら)えるのです。

 

今年は 私たちも さまざまなことを心に納めて、反省し 

神さまとそのみ言葉にもっと信頼するようにいたしましょう。

 

みなさんの新年が祝福にみちた豊かなものでありますように。

 

みなさん、あらためて、新年おめでとうございます。


 

 

写真: クリスマスリースが飾られた 降誕節の カトリック伏見教会 聖堂

     

 

 

                                

 

                                       カトリック伏見教会 

 

 

お話:エルメル・ディマルクト神父

  

第1朗読   イザヤ書 52章7~10節  

          「主は王となられる」

 

第2朗読   ヘブライ人への手紙 1章1~6節 

        「神は御子によって語られた」「御子は天使にまさる」
 

福音朗読  ヨハネによる福音書 1章1~18節

        「言(ことば)が肉となった」

  

飼い葉桶の聖家族3 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

- Christmas -

 

親愛なる友である皆さん、今日、私たちはクリスマスを お祝いするのですが、

家族や愛する人々のことを思うだけではなくて、

世界中の人々、特に 病気の人や 苦しんでいる人のことも 心に留めましょう。

 

 

今年は、世界各地で大災害がありました。東北をはじめ、

最近では、フィリピン北部のミンダナオも大洪水にみまわれ、

その死者の数が二千人に達していますが、

まだ多くの人は行方不明となっています。

 

皆さんにお願いがあります。これらの人々のために心を合わせて 祈るのは、

もちろんですが、今日のミサの献金を 私たちの愛の行いの一つとして

ミンダナオに 送って頂けるでしょうか。よろしくお願いいたします。

 

感謝をこめて、皆さんの上に 神の祝福を祈ります。

 

 

 

 さて 皆さん、御存じのように、今年の漢字として選ばれたのは、

「絆(きずな)」でした。

 

東北で起こった地震と津波による大災害と、

その後に起こった様々なことから、

多くの人は 友だちや家族との絆の大切さを再認識し、

再発見したのであろうと 言われています。

すばらしい気づきです。

  

私たちは このように危機に遭遇するとき、

誰かが身近にいてくれることを望み、

それを、ありがたく 思います。


 

 

確かに、世界中、どこにおいても、災害に会った人々は、

彼らの友人たちや 家族だけではなくて、世界中の人々から、

言葉だけではなくて、物質面においても、実際の行いにおいても、

直接の援助を受けて、多くの人々との結束を経験し、

人類は、ひとつであると感じ、

私たちの心は、ひとつに結ばれることを 求めています。

 

 

さらに、ここで、私は、「絆」を、そのような人間のあいだにあるものから、

霊的な、神との絆へと広げてみたいと思います。

 

実は、今日、お祝いしているクリスマスは、神が人間と結ばれた「絆」です。

神さま流の 絆の持ち方です。

 

 

永年のあいだ、預言者や、王、または、さまざまな書き物を通して

人類に語りかけてこられた神でしたが、人間との絆を結ぶために、

この世に入られて、ご自分を 人間の目に見えるものとされました。
 

神の み言葉が 受肉されたのが、私たちの主イエスです。

ですから、イエスを通して、私たちは神との絆を結び、深めることができます。

 

 

それだけではありません。 イエスが教えてくださったことは、

私たちが 神と絆をむすぶことを 望む以上に、

私たちとの絆を深めることを望まれているのは、神さまであり、

神さまは その絆を求めて、私たちを 探しておられるということです。

 

クリスマスとは 神が 私たちと 絆を結ばれた話であり、それの始まりです。

神は 私たちと絆を結ばれた結果、いろいろな形で 私たちと共におられます。

 

教会では、私たちは さまざまな秘跡によって 神の現存を経験しています。

 

私たちが 教会のメンバーと助け合い、

友情を深めるとき、神は そこにおられます。

 

 

 

イエスは言われました。

 

「わたしの兄弟である この最も小さな者の 一人にしたのは、

わたしにしてくれたことなのである。」 (マタイによる福音書 25章40節)

 

 

 

人を許すことに困難を感じている人、人と友達であることが難しい人、

人と一つになること、自分の過ちを認め謝ることが難しい人、

他の人と一致することが難しい人、このような人には、

どんな人間関係においても、

黄金律とされている 次の聖書の言葉がありす。

 

 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」

            (ルカによる福音書 6章31節) 

  

 

 

私たちの主イエスは 私たちに、新しい掟を与えられました。

 

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

                   (ヨハネによる福音書 13章 34-35節) 

 

 

 

私たちが人々を愛し、その絆を 深めなければならないのは、

イエスが与えられた この掟に従うためであり、

他の いかなる理由のためでも ありません。

 

誰しも、クリスチャンであれば、イエスのこの掟に従うために 

最善を尽さなければなりません。

 

 

クリスマスには、私たちの主であり 救い主である 

イエス・キリストの誕生に思いを馳せるだけではなくて、

信仰に基づいて 日々の生活ができるように、

私たちの信仰を、再発見、再定義、更新しなければなりません。

 

 

このクリスマスが、みなさんにとって、

意義深い、喜びに満ちたものでありますように。

 

 

みなさんと共に このクリスマスを迎えられるのを 感謝しています。

 

みなさんに、神の豊かな祝福がありますように!

 

 

 

 

 

写真 記事 上: カトリック伏見教会 聖堂にて 祭壇前の飼い葉桶 (待降節~降誕節)

                                                     (2011年12月撮影)

 

 

 

 

                                            カトリック伏見教会