ランディー神父の最近のブログ記事

「神の子羊」

  マリアさまとゆりの花    

    

   

    

    

    

    

    

    

    

     

   

     

     

     

     

     

      

     

      

      

      

 

  

  

お話:ランディー神父

 

Jn.1:29-34 Jesus Baptism

(ヨハネによる福音書 1章 29-34節)

 

 

イエスは 洗礼のとき、

宣教とご自分の使命について、

目に見える形で、

父なる神さまから、油を注がれた 

と 言えます。

 

 

教父たちは、これについて、

「神の子が 聖霊によって 人間と連帯されたとき、

救い主としての 油を注がれた」 

と 書いています。

 

 

人間イエスの意識の中に、

そして、教会の教義の中に、

イエスの洗礼は消えない印(しるし)を残しました。

 

なぜなら、イエスの洗礼は、

三十年に及ぶ隠れた生活に 終止符を打ち、

イエスの公生活の始まりを 告げるものとなったからです。

  

 

四つの福音書は、いずれも、

ヨハネによるイエスの洗礼について

記述しています。

 

この時点において、

イエスは 救い主としての ご自分の召命を 

よりはっきりと 自覚されたことと 思われます。

 

誰が イエスに その召命を与えられたかは、明白です。

イエスは ご自分が 

御父なる神さまに 遣わされた者であること、

また聖霊によって、

救い主としての 油を注がれたことを 

知っていました。

 

それで、イエスは、ご自分の使命を理解し、

それがもたらす すべてのものを 引き受けられました。

そこに、イエスの洗礼と 私たちの洗礼の 類似点があります。

 

 

私たちも、洗礼を受けたとき、召命を受けました。

それは、イエスのことを広め、

イエスの福音を他の人々に知らせることでした。

この召命は 私たちが堅信の秘跡を受けたときに、

さらに明らかになりました。

 

 

イエスが御父の召命に 応えられたように、

私たちも自分が受けた召命に応え、

その使命を 果たさなければならないのです。

 

 

  

私たちは 自分の召命に忠実になり、

多くの人に、

神は、私たちを創造されただけではなく、

私たちを愛しておられ、

すべての人を救おうと、

そのみ手を差し伸べておられる ということを 

伝えることができますように、

祈りましょう。

  

マリアさまの足元に咲くゆりの花

    

     

  

     

     

     

     

     

     

    

    

  

  

 

写真:カトリック伏見教会の庭にて

上・「あわれみのマリア」像と マリアさまの足元に咲く 白ゆりの花

下 マリアさまの 足元に咲いていた 白ゆりの花

                         

 

 

                                 カトリック伏見教会

 

「十二人を選ぶ」

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 お話:ランディー神父

 

 

MK 3 13-19 (マルコによる福音書 3章 13-19節) 

 

 

イエスは12人を選び、

彼らを 「使徒」と 名づけられました。

 

なんらかの資格とか、基準に 照らし合わせて 

彼らをお選びになったわけでは ありません。

 

この12人に 特別な学歴があるわけではなく、

社会的に名の知られた人が いるわけでもありません。

彼らは、どこにでもいる 普通の勤労者でした。

 

 

大切なことは、

彼らがイエスに従って、

イエスと共に居たことです。

 

イエスと共にいることによって、

彼らは、イエスが話される言葉から、

また、イエスの生き方から、

自然に、イエスの心を学びました。

 

 

そして、ついに、イエスの使命をおびて、

説教し、悪霊を追い出したりするために、

人々のところへ 派遣されるときが来ました。

 

 

イエスは12人を使徒とされましたが、

12という数字は、イスラエルの12部族、

すなわち、神に選ばれた民を表しており、

贖罪的、また歴史的な意味をもつ

象徴的な数字です。

 

イエスは、イエスと共に働き、

神の民に奉仕する人々を

必要とされています。

 

イエスは、

神の ぶどう園で 働くために 

私たちを お呼びになりました。

 

私たちには、欠点があり、

その力は 限られています。

したがって、失敗したり、

罪をおかしてしまいますが、

イエスは そのようなことは 気になさりません。

 

 

投資家が危険を覚悟で投資するように、

イエスは、危険を知りながら 

私たちを呼び、ある意味で、

私たちに賭けておられる と 

言っていいでしょう。

 

 

イエスが望んでおられるのは、

私たちが、全身全霊をもって、

イエスの使命を 果たしたいと 

決意する 心です。

 

 

イエスの呼びかけに、

「はい」と、答えましょう。

 

アーメン

 

 

 

 

写真: カトリック伏見教会の 近辺の疏水沿いに咲く 槿(ムクゲ)の花

 

 

   

                                       カトリック伏見教会

 

「多くの病人をいやす」

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お話:ランディー神父

 

LK 4 38-44 (ルカによる福音書 4章 38-44節)

 

 

イエスは、多くの人を癒されましたが、そのやり方は様々でした。

病人に直接手を触れられたり、または、

病人が、ご自分に触れるのを 許されたこともあります。

 

時には、複数の人に 癒しの業(わざ)を行われたこともあります。

しかし、今日の福音では、イエスは、ただ一人の人を癒しておられます。

 

したがって、イエスがどのように病気の人を癒されたのか、

イエスの癒し方を体系的に学ぼうとするならば、私たちは行き詰ってしまいます。

 

多分、イエスの癒し方には、これといった決まりがないようです。

 

とは言っても、ほとんどの場合に イエスが必ず言われることが、

一つだけあります。それは、癒されたことを 誰にも、話すな ということです。

 

しかしイエスが口止めをされれば されるほど 人々はかえって

ますます 言い広めました。

 

 

このことから、福音が伝えているのは、

イエスの癒しや、イエスの言葉ではなくて、

むしろ イエスの親切さと善良さであると思われます。

 

 

イエスは病気を癒された人に、癒されたことについて 

誰にも話さないようにと 命じておられます。

 

その代わりに、イエスから受けた親切を人々と分かち合い、それを通して

イエスの善良さが広まるのを望んでおられたようです。

 

 

私たちも、イエスが教えられた 良い知らせ-「福音」を、広めましょう。

 

福音とは、神が すべての人を愛しておられる と言うことです。

 

私たちもイエスと同じ心でもって 人々に親切でありますように

神さまの祝福を願いましょう。

 

 

写真:カトリック伏見教会 聖堂内にて

 

 

                                         カトリック伏見教会

  

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