崔 聖煥 神父の最近のブログ記事

 
 
 
 
 
お話 : 崔 聖煥 神父
 
 
 
 
第一朗読 イザヤ書 52章13節~53章~12節
   
第二朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節、5章7~9節
   
福音朗読 ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節
 
    
十字架上のキリスト4
  
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    
   
   
   

今日、受難の朗読は、主の受難と死を 非常に劇的に 表現しています。

主の受難は、はげしくて、ひどかったです。

 

主は、全身に むちを 打たれて、

頭には いばらの 冠(かんむり)を かぶせられたまま、

十字架の上を歩きました。

 

重い十字架を背負っていく途中、三度も倒れられて、

十字架につけられて、はげしい苦しみの中で なくなられました。

 

このような 主の受難の中で、もっとも 苦しかったのは、なんでしょうか?

 

よく わからないですが、

むちを打たれて 血が流れる 苦しみや、

十字架につけられて、死の瞬間を待つ 苦しみなども、

大変だったかもしれませんが、

 

わたし自身の 考えを 言えば、

イエス様に とって、その 肉体的な 苦しみより

信じた人に 裏切られた 精神的な 苦しみのほうが 

さらに つらかったことだと 思います。

 

主は、もっとも 近い弟子から、お金のために 裏切られました。

そして、残りの弟子たちも、先生を捨てて 生きるために 逃げてしまいました。

 主は、三年間 自分に従って、よく 信じた 弟子たちに、捨てられました。

 

このように 主をもっとも つらくさせたことは、

愛する弟子たちに、捨てられた 苦しみで、

真理を忘れて 不正と 悪に満ちた 世の中に対する 

絶望であることでしょう。 

 

しかし、主には、希望がありました。

 

十字架のそばで、一緒に かなしみを わけた マリアと 婦人たちがいたし、

十字架上の死を見て 「本当に この人は神の子だった」と 

神様を 賛美した 百人隊長、

また、イエス様の 遺体を とりおろして 墓に葬った ヨセフと 

ニコデモも いました。

 

そして、なによりも どんな状況にあっても、

いつも ともに いてくださる

「おん父」 神様が いらっしゃいました。

 

 十字架上のキリスト2  

    

    

    

    

    

    

    

    

    

    

    

   

それで イエス様は、さびしくなかったし、自分は神様によって

「かならず 復活する」という 希望をもって

ひどい 十字架の道を 力強く 歩くことが できました。

 

愛するみなさん!!

 

さっき、私たちは、主の 十字架の受難を 一緒に朗読しました。

主の 十字架の道には、多くの役割が あります。

 

お金のために、うらぎったユダ。

生きるために 逃げた 弟子たち。

「十字架につけろ」と さけんだ 人々。

やさしい ヨセフ。

主の死を そばで 見守ってくれた 婦人たち。

など、さまざまな役割があります。

 

自分自身は、どのような 役割で

主に 会っているのか、静かに 考えてみましょう。

 

アーメン。

    

みこころのキリスト像1 

 

 

 

 

  

 

 

  

 

 

 

写真:

上・中・  「十字架上のキリスト」 (カトリック伏見教会 聖堂内 祭壇 中央上)

下・    「聖心(みこころ)のキリスト」像 (カトリック伏見教会 正門正面)

 

 

 

 

  

                               カトリック伏見教会

 

 

 

 

お話 : 崔 聖煥 神父


第1朗読  ヨナ記 3章1~5、10節
       「ニネベの悔い改め」

 
第2朗読  コリントの信徒への手紙一 7章29~31節 
       「未婚の人たちとやもめ」
 
 
福音朗読 マルコによる福音書 1章14~20節 
         「レビを弟子にする」
 
 

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学生時代を思い出せば、
 
友達の中に 習慣的に 遅刻をする 友達がいたものです。
 
朝寝坊の多かった私も、よく遅刻する一人でしたが、
 
寝坊した 言い訳の一つが、「もう少し、五分だけでも」ということでした。
 
 
 
ところが、学生時代ではなく、今の信仰生活でも、
 
そのような 「あとまわし」の 誘惑があります。
  
まさに、主の呼びかけに対する 答えの時が それです。
 
 
 
今日の朗読で、注目すべきことは、召命を受けた人々の 態度です。
 
第一朗読で、ヨナが、一回りするのに三日かかる 
 
非常に大きな都であるニネベで、滅亡を告げると、
 
すべてのニネベの人たちは、一日ぶりに、
 
すなわち ただちに、悪の道から離れました。
 
 
 
福音で、イエス様は、弟子たちを 呼びますが、呼ばれた人たちは、
 
ただちに 網を捨てて、父と仲間たちを 残して、
 
イエス様の後について 行きました。
 
 
 
召命に対する こたえは、このように、ただちに、すなわち、
 
「今、ここで、すぐに」、成り立つのです。
 
「今、ここで」 でなければ、
 
召命は、自分の人生に 何の実りも結ぶことができずに、
 
そのまま 流されてしまいます。
 
 
 
愛するみなさん!!
 
 
 
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
 
イエス様がおっしゃった 最初の言葉です。
 
 
「『今、ただちに』、神さまの恵みに感謝し、
 
『今、ただちに、』無駄な執着を捨てて
 
『今、ただちに、』神さまが与えられる幸いについてきなさい。」
 
 という 神の国に 招く みことばです。
 
 
 
この招待に、迷わず、
 
ただちに、こたえられる 知恵を、神さまに求めながら、
 
恵みの一週間を、過ごすようにしましょう。
    
 

写真: カトリック伏見教会 聖堂内 にて
 
 
 
                                     カトリック伏見教会
 
 
 
 
 
 
 
 

   

  

    お話 : 崔 聖煥 神父

 

第1朗読 イザヤ書 40章1~5、9~11節 「帰還の約束」

第2朗読 ペトロの手紙二 3章8~14節 「主の来臨の約束」

福音朗読 マルコによる福音書 1章1~8節 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」

聖水台1

 

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

 

 

                                              

 

 今日、私たちは、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」  という

洗礼者ヨハネの叫びを` 聞きました。 

 

 ヨハネの叫びのように、主を待ち望んでいる この時期に、

私たちに 必要なのは、まさに 「主の道を整えること」 です。

 

 主の道を整える ということは、何でしょうか。

 

 それは、主を待っている 私たちが、

神さまがお望みの人生が 何であるかを悟って、

それに合う 準備をしようと 努力することです。

 

 今日の福音で、洗礼者ヨハネは、私たちに 

主の道を整える方法として、「悔い改め」を話しています。

 

「悔い改め」というのは、私たちの考えと心と意志を、

神さまに向かって、回す(まわす)ことです。

 

 私たちのほとんどは、自分の人生を 神さまに向かわないで、

自分に向かっておいて、生きていっています。

 神の み心を行うより、自分の心に合わせて 人生を計画し、

自分の意志だけで生きています。

 

 しかし、悔い改めの人生というのは、

そのように 自分の道を歩むのではなく、

主の道を歩もうと 心を正すことです。

 

愛するみなさん!!

 

 主は、私たちに、真の悔い改めを 望んでおられます。

 主の希望の 悔い改めは、神さまと 離れていた 生活から、

もう一度 神様と一致する 生活に 戻ることです。

 

 しばらくの間、自分は、どんな 悔い改めの生活を 送っているのか

ふりかえってみましょう。

 

 私たちの生活が、真の 悔い改めを 通して、主の道を 整えていく時、

近づく イエス様の降誕は、どの時よりも 意味があることでしょう。

 

                                   アーメン。

  ゼラニウム     

  

     

     

       

    

    

     

    

                                      

 

 

 

      

写真  上 カトリック伏見教会 聖堂内にて 聖水盤 

     下 カトリック伏見教会の庭から ゼラニウム (2011年12月撮影)

 

                                 カトリック伏見教会